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宮崎の歴史ものがたり

海へ向かった小さな鉄道

海へ向かった小さな鉄道。内海と宮崎を結んだ鉄道と、実現しなかった駅の計画を紹介します。

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  9. 09 · 赤江(あかえ)
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  12. 12 · 1913年(大正2年)10月
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  18. 18 · 内海(うちうみ)
  19. 19 · 1914年
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  23. 23 · 1962年
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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 01 · 現在
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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 02。ここには、海へ向かう小さな鉄道が走っていた。

ここには、海へ向かう小さな鉄道が走っていた。

03 · 1911年(明治44年) / 28拡大して読む ↗
宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 03 · 1911年(明治44年)。内海の港と宮崎を結ぶ、運ぶ道が求められていた。

内海の港と宮崎を結ぶ、運ぶ道が求められていた。

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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 04。県内外の16人が、鉄道の計画を出した。

県内外の16人が、鉄道の計画を出した。

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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 05。宮崎軽便鉄道は、民間の人たちがつくった鉄道だ。

宮崎軽便鉄道は、民間の人たちがつくった鉄道だ。

06 · 大淀川(おおよどがわ) / 28拡大して読む ↗
宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 06 · 大淀川(おおよどがわ)。最初は、大淀川のそばを出発点にする計画だった。

最初は、大淀川のそばを出発点にする計画だった。

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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 07。川沿いに、荷物を運ぶための駅を計画した。

川沿いに、荷物を運ぶための駅を計画した。

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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 08。出発点や、レールの間の幅を見直すことになった。

出発点や、レールの間の幅を見直すことになった。

09 · 赤江(あかえ) / 28拡大して読む ↗
宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 09 · 赤江(あかえ)。起点は赤江へ。今の南宮崎駅がある場所だ。

起点は赤江へ。今の南宮崎駅がある場所だ。

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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 10。二つの駅は造られず、計画図の中に残った。

二つの駅は造られず、計画図の中に残った。

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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 11。計画が変わっても、内海へ向かう工事は進んだ。

計画が変わっても、内海へ向かう工事は進んだ。

12 · 1913年(大正2年)10月 / 28拡大して読む ↗
宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 12 · 1913年(大正2年)10月。そして、大正2年の秋。

そして、大正2年の秋。

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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 13。赤江から内海へ、宮崎軽便鉄道が走り出した。

赤江から内海へ、宮崎軽便鉄道が走り出した。

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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 14
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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 15
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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 16
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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 17
18 · 内海(うちうみ) / 28拡大して読む ↗
宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 18 · 内海(うちうみ)。鉄道は、内海の港がある地域へつながった。

鉄道は、内海の港がある地域へつながった。

19 · 1914年 / 28拡大して読む ↗
宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 19 · 1914年。翌年の乗客は、およそ31万7千人。

翌年の乗客は、およそ31万7千人。

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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 20。人と荷物が行き来する、新しい道になった。

人と荷物が行き来する、新しい道になった。

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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 21。1920年、会社名は「宮崎鉄道」へ。

1920年、会社名は「宮崎鉄道」へ。

22 · 1950年代 / 28拡大して読む ↗
宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 22 · 1950年代。鉄道は、その後も人々を運び続けた。

鉄道は、その後も人々を運び続けた。

23 · 1962年 / 28拡大して読む ↗
宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 23 · 1962年。国鉄が買い取り、路線のつながり方が変わった。

国鉄が買い取り、路線のつながり方が変わった。

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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 24。青島から内海の古い区間は、運行を終えた。

青島から内海の古い区間は、運行を終えた。

25 · 現在 / 28拡大して読む ↗
宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 25 · 現在。線路がなくなっても、通った道の跡が残る。

線路がなくなっても、通った道の跡が残る。

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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 26
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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 27
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宮崎軽便鉄道と「幻の駅」 28

まとめ・ことばの説明

宮崎軽便鉄道と「幻の駅」

このお話から

宮崎軽便鉄道は、内海の港と宮崎の町を結ぶために生まれた、民間の鉄道でした。計画の途中で出発点などが変わり、造られなかった駅もありました。

鉄道の歴史は、今も列車が走る場所だけに残っているわけではありません。古い計画図や、海辺に残る道の跡も、かつての暮らしを知る手がかりになります。

ことばの小さな辞典

軽便鉄道(けいべんてつどう)

費用をおさえ、比較的簡単な設備でつくられた鉄道。線路の幅がせまいものだけを指すわけではありません。

起点(きてん)

路線の出発点となる場所。

停車場(ていしゃじょう)

列車が止まり、人が乗り降りしたり、荷物を積み下ろしたりする場所。

国鉄(こくてつ)

国が運営していた鉄道。今のJRにつながります。

廃線(はいせん)

鉄道の路線として使うのをやめること。

時代の流れ

1911年 鉄道をつくるための申請が出される。

1913年10月 赤江〜内海で開業。

1920年 会社名が宮崎鉄道に変わる。

1942年 バス会社との合併により、宮崎交通となる。

1962年 国鉄が買い取る。青島〜内海の旧線は運行を終える。

路線の一部は、現在の日南線につながっています。鉄道全体がなくなった、という意味ではありません。

参考資料

宮崎県文書センター『歴史資料に見る宮崎 №3』「大正2年開業の宮崎唯一の私鉄―宮崎軽便鉄道―」計画の変更・開業時の駅・車両・乗客数・その後の路線について。

宮崎市『令和6年 宮崎市観光統計』21頁「宮崎市観光のあゆみ」大正2年の開業について参照。

史料をもとに構成した歴史漫画です。会話・登場人物の表情・情景は物語のための表現で、実際の発言や景観をそのまま再現したものではありません。駅順の図は地図ではありません。開業日は資料によって記載に差があるため、本編では年月で示しています。

宮崎の歴史ものがたり 02|確認版

年表

1911年
鉄道をつくるための申請が出される。
1913年10月
赤江〜内海で開業。
1920年
会社名が宮崎鉄道に変わる。
1942年
バス会社との合併により、宮崎交通となる。
1962年
国鉄が買い取る。青島〜内海の旧線は運行を終える。

出典・制作上の注記

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