宮崎の歴史ものがたり
海へ向かった小さな鉄道
海へ向かった小さな鉄道。内海と宮崎を結んだ鉄道と、実現しなかった駅の計画を紹介します。
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ここには、海へ向かう小さな鉄道が走っていた。

内海の港と宮崎を結ぶ、運ぶ道が求められていた。

県内外の16人が、鉄道の計画を出した。

宮崎軽便鉄道は、民間の人たちがつくった鉄道だ。

最初は、大淀川のそばを出発点にする計画だった。

川沿いに、荷物を運ぶための駅を計画した。

出発点や、レールの間の幅を見直すことになった。

起点は赤江へ。今の南宮崎駅がある場所だ。

二つの駅は造られず、計画図の中に残った。

計画が変わっても、内海へ向かう工事は進んだ。

そして、大正2年の秋。

赤江から内海へ、宮崎軽便鉄道が走り出した。





鉄道は、内海の港がある地域へつながった。

翌年の乗客は、およそ31万7千人。

人と荷物が行き来する、新しい道になった。

1920年、会社名は「宮崎鉄道」へ。

鉄道は、その後も人々を運び続けた。

国鉄が買い取り、路線のつながり方が変わった。

青島から内海の古い区間は、運行を終えた。

線路がなくなっても、通った道の跡が残る。



まとめ・ことばの説明
宮崎軽便鉄道と「幻の駅」
このお話から
宮崎軽便鉄道は、内海の港と宮崎の町を結ぶために生まれた、民間の鉄道でした。計画の途中で出発点などが変わり、造られなかった駅もありました。
鉄道の歴史は、今も列車が走る場所だけに残っているわけではありません。古い計画図や、海辺に残る道の跡も、かつての暮らしを知る手がかりになります。
ことばの小さな辞典
軽便鉄道(けいべんてつどう)
費用をおさえ、比較的簡単な設備でつくられた鉄道。線路の幅がせまいものだけを指すわけではありません。
起点(きてん)
路線の出発点となる場所。
停車場(ていしゃじょう)
列車が止まり、人が乗り降りしたり、荷物を積み下ろしたりする場所。
国鉄(こくてつ)
国が運営していた鉄道。今のJRにつながります。
廃線(はいせん)
鉄道の路線として使うのをやめること。
時代の流れ
1911年 鉄道をつくるための申請が出される。
1913年10月 赤江〜内海で開業。
1920年 会社名が宮崎鉄道に変わる。
1942年 バス会社との合併により、宮崎交通となる。
1962年 国鉄が買い取る。青島〜内海の旧線は運行を終える。
路線の一部は、現在の日南線につながっています。鉄道全体がなくなった、という意味ではありません。
参考資料
宮崎県文書センター『歴史資料に見る宮崎 №3』「大正2年開業の宮崎唯一の私鉄―宮崎軽便鉄道―」計画の変更・開業時の駅・車両・乗客数・その後の路線について。
宮崎市『令和6年 宮崎市観光統計』21頁「宮崎市観光のあゆみ」大正2年の開業について参照。
史料をもとに構成した歴史漫画です。会話・登場人物の表情・情景は物語のための表現で、実際の発言や景観をそのまま再現したものではありません。駅順の図は地図ではありません。開業日は資料によって記載に差があるため、本編では年月で示しています。
宮崎の歴史ものがたり 02|確認版
年表
- 1911年
- 鉄道をつくるための申請が出される。
- 1913年10月
- 赤江〜内海で開業。
- 1920年
- 会社名が宮崎鉄道に変わる。
- 1942年
- バス会社との合併により、宮崎交通となる。
- 1962年
- 国鉄が買い取る。青島〜内海の旧線は運行を終える。
出典・制作上の注記
- 宮崎県文書センター『歴史資料に見る宮崎 №3』「大正2年開業の宮崎唯一の私鉄―宮崎軽便鉄道―」
史実・描写の参考。資料本文・写真の転載ではない。
- 宮崎市『令和6年 宮崎市観光統計』21頁「宮崎市観光のあゆみ」
史実・描写の参考。資料本文・写真の転載ではない。