AI-TERRACE宮崎のものがたり
← 作品一覧へ

宮崎の歴史ものがたり

空が、宮崎への道になった

空が、宮崎への道になった。飛行場から、人々を迎える空港へと歩んだ歴史をたどります。

公開中 · 22枚

下へスクロールしてお読みください。文字が小さい場合は「拡大して読む」で原寸画像を開き、拡大できます。

目次・ページを選ぶ
  1. 01 · 現在|宮崎空港
  2. 02
  3. 03 · 1943年(昭和18年)
  4. 04 · 戦後
  5. 05 · 1954年(昭和29年)
  6. 06 · 1954年
  7. 07
  8. 08 · 1963年(昭和38年)
  9. 09 · 1966年(昭和41年)
  10. 10 · 1966年|ボーイング727-100
  11. 11 · 1960年代後半ごろ
  12. 12
  13. 13
  14. 14 · 1990年(平成2年)
  15. 15 · 1990年
  16. 16 · 1996年(平成8年)
  17. 17 · 2001年(平成13年)
  18. 18 · 2014年(平成26年)
  19. 19 · 現在
  20. 20
  21. 21
  22. 22
01 · 現在|宮崎空港 / 22拡大して読む ↗
空港の窓から飛行機を眺める親子

宮崎の空の玄関には、どんな歴史があるのだろう。

02 / 22拡大して読む ↗
空港はいつからあるのかと尋ねる少年
03 · 1943年(昭和18年) / 22拡大して読む ↗
戦時中につくられた飛行場のイメージ

始まりは、戦争中につくられた海軍の飛行場だった。

04 · 戦後 / 22拡大して読む ↗
閉じられた飛行場の門

戦争が終わると、飛行場はいったん閉じられた。

05 · 1954年(昭和29年) / 22拡大して読む ↗
飛行について学ぶ学生と教官

航空大学校の訓練飛行場として、再び使われ始めた。

06 · 1954年 / 22拡大して読む ↗
初期の民間航空を利用する旅行者

同じ年、民間の定期便も飛び始めた。

07 / 22拡大して読む ↗
1954年に結ばれた大阪・福岡・宮崎の路線模式図
08 · 1963年(昭和38年) / 22拡大して読む ↗
ターミナルで旅立つ人と見送る人

旅客を迎えるターミナルビルが完成した。

09 · 1966年(昭和41年) / 22拡大して読む ↗
滑走路の整備にあたる人々

滑走路は、1,800メートルに延ばされた。

10 · 1966年|ボーイング727-100 / 22拡大して読む ↗
離陸するボーイング727-100のイメージ

東京線に、ジェット機がやってきた。

11 · 1960年代後半ごろ / 22拡大して読む ↗
宮崎に到着した新婚旅行の夫婦

新婚旅行で宮崎を訪れる人々も、空港を利用した。

12 / 22拡大して読む ↗
海辺を巡る観光バス

空港は、宮崎を旅するための入口にもなった。

13 / 22拡大して読む ↗
旅行者の荷物を扱う地上の係員

人の行き来を、地上の仕事も支えていた。

14 · 1990年(平成2年) / 22拡大して読む ↗
海へ向かって延びる滑走路のイメージ

滑走路は2,500メートルへ。大型機を迎える時代に。

15 · 1990年 / 22拡大して読む ↗
空港で再会する家族

新しいターミナルビルも完成した。

16 · 1996年(平成8年) / 22拡大して読む ↗
空港の駅で列車を降りる旅行者

宮崎空港線が開通。空港と鉄道がつながった。

17 · 2001年(平成13年) / 22拡大して読む ↗
海外からの訪問者を迎える人

ソウルへの国際定期便が就航した。

18 · 2014年(平成26年) / 22拡大して読む ↗
ブーゲンビリアと空港の愛称を示すモニュメント

「宮崎ブーゲンビリア空港」という愛称が生まれた。

19 · 現在 / 22拡大して読む ↗
出発の準備をする地上の係員

今日も、多くの人の仕事が空の旅を支えている。

20 / 22拡大して読む ↗
空港を行き来する人々について話す親子
21 / 22拡大して読む ↗
大きな空へ飛んでいく旅客機
22 / 22拡大して読む ↗
空港が人と人をつなぐ場所だと気づく少年

まとめ・ことばの説明

宮崎空港の歴史

このお話から

宮崎空港は、戦争中の飛行場から、戦後に人々の旅を支える空港へと役割を変えてきました。飛行機だけでなく、滑走路や建物、鉄道、そこで働く人たちが、空の旅を支えています。

旅行や仕事で訪れる人、家族に会いに来る人、宮崎から出発する人。空港の歴史は、人と人のつながりの歴史でもあります。

二つの「始まり」

1943年は、海軍の飛行場がつくられた年。1954年は、訓練飛行場として再開し、民間の定期便も始まった年です。空港の開港周年は、1954年を起点に数えられています。

ことばの小さな辞典

定期便(ていきびん)

決まった時刻や路線で、くり返し運航する便。

ターミナルビル

飛行機に乗る手続きをしたり、到着した人を迎えたりする建物。

滑走路(かっそうろ)

飛行機が飛び立つときや、着陸するときに使う道。

就航(しゅうこう)

飛行機などが、ある路線で運航を始めること。

愛称(あいしょう)

親しみをこめて呼ぶ名前。

時代の流れ

1943年 海軍の飛行場として建設。

1954年 航空大学校の訓練飛行場として再開。民間の定期便も始まる。

1963年 ターミナルビル完成。

1966年 滑走路が1,800メートルに。東京線にジェット機が就航。

1990年 滑走路が2,500メートルに。新ターミナルビル完成。

1996年 宮崎空港線が開通。

2001年 ソウルへの国際定期便が就航。

2014年 「宮崎ブーゲンビリア空港」の愛称が決まる。

参考資料

宮崎空港ビル株式会社「沿革」民間航空の始まり、ジェット機、新婚旅行、ターミナル、鉄道、国際線。

国土交通省「宮崎空港環境計画(第二期)」空港の沿革、滑走路の延長、施設整備。

宮崎空港振興協議会「宮崎空港のあゆみ」訓練飛行場、定期便、空港連絡鉄道などの年次。

宮崎空港ビル株式会社「愛称発表セレモニー」2014年の愛称決定。

宮崎県公式観光サイト「宮崎空港」空港の概要・モニュメントの造形の参考。

ANA「機材の歴史」「ANAグループの年表」727-100の形状。年表で1954年の定期便開始も照合。

JR九州「日豊本線電化50年記念ツアー資料」713系の外観と、空港線開業に合わせた赤色への変更を確認。

宮崎空港駅ホーム写真(Cassiopeia sweet、2004年3月9日撮影)ホームの屋根・柱・外側の壁の参考。写真はパブリックドメイン。開業当日の写真ではありません。

資料確認:2026年9月。史実をもとに構成した漫画です。登場人物・会話は創作で、各時代の建物、服装、機材の塗装、風景などは物語のために描いたイメージです。写真や現地景観の厳密な再現ではありません。駅の場面は、JR九州の713系資料と2004年撮影のホーム写真を参考にしています。1996年の開業当日の細部を再現したものではありません。現在の便数や運航状況は扱っていません。

宮崎の歴史ものがたり 03|確認版

年表

1943年
海軍の飛行場として建設。
1954年
航空大学校の訓練飛行場として再開。民間の定期便も始まる。
1963年
ターミナルビル完成。
1966年
滑走路が1,800メートルに。東京線にジェット機が就航。
1990年
滑走路が2,500メートルに。新ターミナルビル完成。
1996年
宮崎空港線が開通。
2001年
ソウルへの国際定期便が就航。
2014年
「宮崎ブーゲンビリア空港」の愛称が決まる。

出典・制作上の注記

作品一覧へ戻るページ先頭へ ↑